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・チーム結成のきっかけ 怪我をしない漕ぎ方を教わろうと日本カヌー連盟の畑先生(強化部長、当時) を講師として招きました。その畑先生からドラゴンボートを紹介され、 当時勤務してい我々は出場を決意したのです。初めて出場したのが、翌年1994年夏の大阪大会です。 (東京大会は翌年1995年から始まりました。) そして当時リード(現場責任者)という立場にいたのが初代監督の奈良さんでした。 その奈良さんが事務的な事を引き受けてくれ、選手としてではなく監督としてチームをまとめてくれました。 一度にカヌーキャスト25人の休みをもらうのに骨をおっていただきました。 実質、練習・戦術・人選・宿・交通手段などはキャプテンである私や仲間に任せてくれました。 余談ですが、全員がカヌーキャストということもあり、会社(TDL)に迷惑をかけまいと、 金曜日の仕事後、夜行バスで土曜日の朝に大阪着、練習をして、翌日試合をし、 当日夜行バスで月曜日の朝に舞浜着、その日仕事という、かなり強行軍でした。 それぐらい皆、残ってアトラクションを守ってくれている仲間に感謝の気持ちは忘れず、 仕事に誇りを持っていました。今のキャストもそうだと思います。
・チーム名の由来 メンバー全員でいろいろ案をだし、全部くっつけちゃえ!という感じで決まりました。 『舞浜』というのは説明いりませんね。『河』と『探険隊』いうのは、 カヌーのアトラクションはアメリカ河を探険するというテーマである為、候補に挙がりました。 アメリカ河にはカヌー、マークトウェイン号、いかだと3つのアトラクションがあり、 その3つのキャストは『河のキャスト』という誇りみたいなものがあります。 そんなかんだで『河』という文字をいれました。
長々とまとまりのない文章でゴメン。また、なんでも聞いてちょーだい!全面協力します。 初代監督兼代表 奈良和孝 |
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補足ですが、文中に出てくる奈良さんは2003年1月、不慮の事故により37歳の若さでお亡くなりになりました。舞浜河の初代監督であり、舞浜河の歴史を語るうえでは忘れてはならない存在です。 2003年は、ダイナマイツを中心に、故人にゆかりがある人が集まってドラゴンボートチーム「チーム奈良」を限定結成。日本選手権混合の部に出場し、奈良さんが大好きだった「ドラゴンボートを楽しく!」というコンセプトで漕ぎました。2003年に舞浜河が日本選手権に優勝することができたのは奈良さんが空から応援してくれたから!と言っていいのかもしれません。 舵を結ぶヒモが切れて支点がなくなってしまっても、パワーで制御して完走させてしまう!そんな凄腕の伝説を持つ舵取りでもありました。舞浜河探険隊一同、いつまでもご冥福をお祈りしています。 |
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